私が普段から思っていることがあります。
メディアは間違った日本語を広めるべきではないと言うことです。
有名人が亡くなった場合多くのメディアで締めで、
「ご冥福をお祈りいたします」
といったことを言ったり書いたりしています。
しかし、その「ご冥福をお祈りいたします」は正しいのかということを見たり聞いたりするたびに毎回思うのです。
「ご冥福をお祈りいたします」とは
そもそも「ご冥福をお祈りいたします」とはどういった意味で使われているのか?
ご冥福の冥は冥土の冥、福は幸福の福です。
つまり「冥土での幸福を祈っています」と意味で使われています。
冥土=地獄という置き換えがわかりやすいともいます。
なぜ地獄での幸福なのか
なぜ地獄での幸福を祈られるのか。
その前に別の話を理解して下さい。
六道輪廻というものを聞いたことはないでしょうか。
六道とは
天道
人道
修羅道
畜生道
餓鬼道
地獄道
の6つを言います。
この6つの道で輪廻転生を繰り返し、徳を積むことによって極楽浄土に行けるというのが基本的な仏教の教えです。
死んだ際にどの道に行くかを裁判するのが閻魔大王率いる十王です。
死後の流れを説明すると死後の世界で三途の川を渡り、7日ごとに十王の裁判を7回受けます。
5回目までは審理がされ、6回目の閻魔大王が、どの六道に行くか決めます。
7回目の変成王が六道の中でもどのような場所に生まれ変わるかというのを決めます。
7回目裁判が四十九日で遺族や親族などの法要がよいと良い場所に行くと言われているため、今でも四十九日は重要視されているのです。
十王なのに7回?と思った方もいると思いますが、残りの十王の3人は再審をします。
それが百か日、一周忌、三回忌です。
ここの法要によって地獄に落ちた魂が救われたり、人道天道などに生まれ変わった人でも得を積まれより極楽浄土が近くなるなどの再審があります。
そのため四十九日から三回忌までの法要は特に重要なのです。
十王の話が長くなりましたが、この十王の裁判を受ける場所。
それも地獄であります。
「地獄の沙汰も金次第」とありますが、金=六文銭で賄賂としてや、それだけ供養してくれる親族、遺族がいるとのことで評価が上がったりするという説があります。
裁判中は一応地獄にいるということでその裁判の最中に幸福がありますようにということで「ご冥福をお祈りいたします」と言われています。
浄土真宗の話
ここで問題になるのが浄土真宗です。
浄土真宗も仏教ですが、他の宗派と違うのが「即特往生」という考え方です。
即特往生とは
念仏行者が命を終えるとただちに極楽浄土に往生すること。真宗では、真実信心が得られたそのときに往生が定まるとする。
ようは浄土真宗の方は仏様の力によって死後は極楽浄土に往生するということです。
つまり地獄には行くことも裁判することもなく極楽浄土に行けるのです。
この浄土真宗の方に「ご冥福をお祈りいたします」と使うということがどういうことになるか。
冥界に本来行くことのない方に対し、冥界での幸福を祈るということは、「あなたは浄土真宗だけど仏様が救ってくれないから冥界で幸福があるように」といったことを言っていることに近しいのです。
「ご冥福をお祈りいたします」ということは、浄土真宗の方に対しては失礼に当たると言われてもおかしくありません。
神道の考え
神道での死後の世界というのは仏教とは違います。
死後は幽冥に行き、守護神の様になり生きているわたしたちを見守ってくれています。
こちらの世界から幽冥には関与できないが、幽冥からこちらには関与できるとされ、先祖が守ってくれるという考え方はおそらく神道のものです。
神道と仏教の考え方は違い地獄に行かないため、「ご冥福お祈りします」というのは不適切です。
キリスト教の地獄
キリスト教にも地獄はあります。
しかし、日本の地獄とは違います。
日本の地獄は地獄に行って修行をし、徳を積み転生することを目標としています。
しかし、キリスト教の地獄は救いはありせん。
神に祈らなければ地獄に堕ちそこで永遠の苦しみを受けることになります。
さらに言うと、キリスト教徒に「ご冥福をお祈りいたします」ということはまず永遠の苦しみを受ける場所である地獄に堕ちることを決めつけていることになるでしょう。
それで幸福を祈るだなんてひどい話ではないでしょうか。
日本の宗教比率
日本の人は仏教が多いからご冥福って使っても浄土真宗でなければいいのではって思っている方は居ないでしょうか。
日本人は宗教を気にしない方が多いですが、日本人=仏教ってわけではありません。
日本人の仏教と神道を進行している人の比率は半々くらいらしいのです。
私も最初は仏教のほうが多いと思っていました。
しかし、半々であるため、「ご冥福をお祈りいたします」と使った際に2回に1回は不適切な使い方である可能性があるのです。
最後に
「ご冥福をお祈りいたします」という言葉が悪いとは思いません。
適切に使えばいいものだと思います。
しかし、問題はメディアがテレビや記事などので何でもかんでも「ご冥福をお祈りいたします」と言ったり書いたりしていることです。
亡くなった方が仏教徒だと断定できているのでしたらそれでいいと思います。
しかし、マイケルジャクソンがなくなった際にも言われていたようで、亡くなった方に贈る便利な言葉として使われている気がしてなりません。
自分の好きな有名人がなくなって悲しい気持ちがあるということはわかりますし、それで正しい言い方がわからないとも思います。
素人の方が何らかの言葉を残しているのはまだいいともいます。
ただ、出来れば今知った方は使わないように、別の言葉にすることや、Twitterやブログであれば「今までありがとうございました」などの感謝の言葉でもいいのではないでしょうか。
※宗教観に関しては諸説あります。
一番一般的なものを持ってきたつもりではありますが一般的ではないものも含まれるかもしれません。
ご了承ください。