日大のタックルの事件が世間を騒がせています。
今更って感じはとても強いのですが…。
日大のタックルの事件は最初被害者や加害者の会見があって何事かと思った記憶が新しいです。
言い方は変かもしれませんが素人の言ってしまえば私からしたら赤の他人ですし、試合を観戦するということがなければ関わることは絶対ない人たちです。
スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦うはずのスポーツ選手がそれに反して相手チームを怪我させたということは確かに問題ではあります。
しかし、直接私たちに何かが降りかかるわけでもありません。
極論を言ってしまえば双方が示談をすることで解決する話ではあります。
謝罪だから顔を見せないといけない。しかし、未来ある若者だから顔は写さないで欲しいと言われてマスコミが顔を写さないとは限らない。
顔を写さないでと言われていたのにもかかわらずはっきりと写されるというひどい話です。
そもそも企業の記者会見自体に私自身が違和感を感じているのでこの素人が会見しているのは謎以外の何物でもありませんでした。
一部では被害者側の売名行為など言われている始末です。
話は逸れてしましましたが今回言いたかったのはそういったことではありません。
タックルする側は本気でやっていたんだなと感じたということです。
日大の危険タックルの概要
今回の事件のことを知らない方の為にも概要を。
まず日大が相手に怪我をさせるレベルの危険なタックルを繰り返していた。
5プレー目で退場になった。
タックルをしていた選手は監督やコーチからの指示があったからした、やるしかない状況だったといったような発言を記者会見でした。
しかし、監督やコーチはそういったことはないと一点張りで発言が矛盾している。タックルをした選手は引退を表明。
といったような話です。
体育会系とは
体育会系とぼかしていましたが、体育会系というのを具体的に言うとどういったものか。
・トップダウン
・年功序列
・年齢主義
といった上下社会が一番の印象だと思います。
その他にも、指導を装った虐め、飲酒の強要などが個人的には感じます。
苦手な体育会系というコミュニティ
昔の話になりますが、私は音楽を始める前はスポーツやっていました。
(音楽を先に始めていたらスポーツやってなかったと思っています)
小学校の頃のスポーツクラブでの経験と中学校での部活動の2つです。
スポーツクラブの時は小学生の集まりだったことで体育会系というような感じはありませんでした。
中学の時に関しては、おそらく高校や大学に比べたらマシではあると思います。
しかし、体育会系という気質はありました。
先輩の言うことは絶対といったような雰囲気。
違和感があってもそれに触れることが出来ない雰囲気。
上の人はパワハラを行ってもいいような雰囲気。
監督やコーチに試合の決定権があり、嫌われると試合に出られなくなるから何としても好かれる必要がある。
そういった漂う雰囲気は苦手でした。
また私が自分の行動を縛られることが嫌であまりに大人数の集団行動が嫌いなこともあり、体育会系という気質の集団は肌に合いませんでした。
先輩や監督は絶対
体育会系というコミュニティが出来ているからこそ今回のタックル事件は起きたのだと感じます。
監督の言うことは絶対。
本気でやっている人、特に試合に出たいと考えている人が、監督から「相手選手を潰すなら試合に出す」と言われたらどうするか。
まともな精神状態なら潰す代わりに出ると考えないでしょう。
しかし、体育会系という場所に使ってしまっているとある意味洗脳なのじゃにかと感じるほどまともに判断できなくなる気がするのです。
「相手選手を潰すなら試合に出す」といった監督の判断をおかしいと思っていても、監督を否定することが出来る人は居ないと思います。
否定するといったことで試合に出れなくなるか可能性が高くあるからです。
この監督に気に入られるのは、就職に有利になるという理由があったらしいですが、この監督に限らず体育会系の監督は言わば独裁者ともいえるでしょう。
終わらない体育会系
体育会系というものは日本だけではないらしいです。
ただ日本のようなものではないと思っています。
そして、日本に限っては体育会系というのはサークルや部活動だけではないとでしょう。
体育会系というのは大学の部活動、サークルを最後に終了と思いきや、社会に出ても続きます。
体育会系の出身者が世の中に蔓延っているからです。
今は徐々に減っているとはいえども、日本の雇用形態の特徴である年功序列。
まさに体育会系の特徴です。
特に体力仕事だと体育会系が多いので気質が高くなっているでしょう。
日大タックルは体育会系という闇のせい
話がそれてしまいましたが、タイトル回収です。
日大のタックルは監督という独裁者が言ったことを実行したに過ぎない。
と言ってしまえばそれで終わりです。
タックルで相手選手をつぶすことになっても、言われたことを行い試合に出るというのは、汚い仕事をその独裁者の側近になるために働くというそれに近いものでしょう。
周りの選手がいくらおかしいと思っていても監督に歯向かうということは難しいことです。
独裁者に歯向かったときの様に殺されるかと言ったら殺されないです。
しかし、体育会系という社会では殺されるということは大いにあり得ます。
過去の歴史を見ても、独裁制といったような社会は長続きしません。
しかし独裁者は居ても年が過ぎるごとに上に昇進し、奴隷が増えていくようなシステム。
監督は4年など短い期間を過ぎれば神経質になる必要が低くなるなどのシステムだからこそ大学の部活動のシステムは成り立っているのではないでしょうか。
実力主義者社会がいいという願望
最後に私の願望ですが、やはり実力主義が一番いいというのが私の思うところです。
実力主義なところは実力主義であると思います。
羽生君、藤井君など若くして成果を上げている人に対してはいくら年上だろうと敬意を払っています。
海外でも体育会系のようなことは有るらしいですが、海外では飛び級制度などがあるため、年齢というのは日本に比べて気にされないのではないかと感じます。
昔から…それこそバンド活動を真面目に始めた高校生の時から、カッコ悪いと思っていたことがあります。
売れないバンドマンの先輩がライブの打ち上げで飲んで飲ませて、それが飲みたい人たちでやっているならいいですが、あまり飲みたくない人たちにも強制でという、ある意味体育会系みたいなノリをしている人が多くいました。
勿論先輩バンドの為、場を盛り上げるためそれにノル人は多くいましし、多少は建てたりしてました。
内心はこの人たちに媚び売っていて何になるのかと思う人も勿論いたわけです。
結成〇年でデビューせず、ライブをしても赤字が多い。
こういった人にということです。
こういった人は逆に後輩が売れたらあの売れてるバンドは俺の後輩とか言い出すのです。
上下関係が厳しいようで実力主義が一番強いです。
とある地区にはバックが裏の人のライブハウスがあってそこの持ちバンドに嫌われたら出演できなくなるみたいなこともあったりしますが、売れたバンドに対しては結局何も言わないというのがありますし。
バンドや音楽の世界って実力主義だからこそ私にはあったのかなとも感じます。
最後は私の願望と体育会系とは離れたコミュニティの話になりました。
長くなりましたのでここで締めます。