アニメ『二度目の人生を異世界で』がアニメ化中止になったとありました。
作者がヘイトスピーチをTwitter上で過去に呟いていた結果のようです。
こちらの作品に関しては私読んだことないので知らないのですが、いわゆるなろう系の異世界もの枠でアニメ化みたいですね。
アニメ化中止のように大きなことではなく、これに近いものが起こるたびにいつも思うことがあります。
その話をしてしたいと思っています。
作品と人間性は別物
タイトルにもしていますが結論から申しますとこれです。
「作品と人間性は別物」
ということです。
どんなに人間性が低くても、どんなに性格が悪くてもその作品は1つの作品でしかありません。
作品は小説だけではなく、クリエイティブなもの全般で言えます。
小説、アニメ、漫画、イラスト、絵画、音楽、建築物etc...
挙げればきりがありません。
例えば今回の話ですと、作者がどんなにヘイトスピーチをしていようとも『二度目の人生を異世界で』という作品は1つの作品であり、その作品を好きな人=作者を好きな人ということではありません。
あくまで作者の作品が好きな人です。
過去の人物を出すとしたら太宰治です。
太宰治は数々の名作を残し、今なお読まれている作品が多くあります。
そんな太宰治は人間が出来ていたとは言えないです。
自殺を繰り返す、麻薬中毒、麻薬の為借金、愛人。
とても一般的な人とは言えない状態でした。
太宰の作品は好きでも太宰の行動は理解しかねるという方も多くいるでしょう。
それでも正常だとは思います。
あくまで作品は作品なのですから。
『SAW』のような怖いけど面白いサイコスリラーの作品を殺人犯が作ったら「殺人犯だからこんな思考をしている」という言葉が日本では聞こえてきそうですが、それはおかしいと言いたいです。
面白いものは面白いで評価されるべきだと。
なぜ今まで同じようなことが起きなかったのか
遥か昔から今までには多くのクリエイターがおり、作品があるといった状況でした。
その中には過激派に近い思考を持った人、今回のようにヘイトスピーチの活動に参加していた人などいたとは思います。
それでもメディア化中止や出版中止、販売中止といった状況にならなかったのか。
一番は露出する機会がなかったからだと私は思います。
近年まではTwitterのようなものはなく作品は作品として知られても、それを作ったクリエイターの発言の場というのはほとんどなかった為だと。
発言の場があったとしてもせいぜいブログで、クリエイターの人間性、性格、思考など知りえたのは基本的にはそのブログの読者。
不特定多数の人にシェアされるという可能性は低かったものと考えられます。
それがTwitterという不特定多数の人にシェアされやすいシステムで露見しだしたと思います。
この漫画家は性格悪い、このバンドのボーカルは常識知らず、この小説書いている人は発言やばいやつ。
といったようなことがわかるようになりました。
それが人気があればあるほど(フォローワーが多ければ多いほど)広がりやすく。
別にそれ自体は悪いとは私は思いません。
Twitterのそもそもの使い方というのは呟くこと、いわば独り言です。
むしろ悪いのは人間性と作品を同一に考えている人たちだと思います。
一番の問題
今回のアニメ化中止にいたって一番の問題点があります。
それが前例を作ってしまうということです。
今回の出来事は『二度目の人生を異世界で』という小説原作のアニメが、作者のヘイトスピーチの発言があり制作中止になったというものです。
今回の発言ですが4、5年前の発言を見つかりといったもののようです。
『二度目の人生を異世界で』の発売年が2014年11月のようなのでデビュー前の発言のようです。
今回の出来事で前例を作ってしまうと、前例というのの効果は大きのでアンチがアニメ化を中止させる材料に出来てしまうのです。
前例の力というのは法律の世界でも使われるくらい大きいものです。
法律の世界でも判例といってこういった前例があるからと、判決の材料にします。
法律の世界でなくても前例というのは武器にされることが多いと思います。
仕事で普段は請け負ってないまで業務を請け負ったってなると次回の時に「前回はやってくれたでしょ?」と言われることもあるでしょう。
挙げると長くなってしまうので割愛しますが、前例があると断りにくくなるということは多くあるので考えてみてください。
このように前例を作ってしまうと次回のアニメ化作品の作者の過去のツイートを全部見て、こういった発言してるからアニメ化中止しろって騒がれたら中止にしなくてはいけない空気になってしまいます。
ただこれは別の制作会社なら方針が違うと言えば回避できるものだとは思うのですが、今までよりやりにくくなるものだと考えています。
なにより、クリエイターの粗探しのようなことをするといった風潮を作り上げてしまう可能性があり、それも危惧しています。
そうなってしまうとクリエイターが発言しにくい空気になってしまうためです。
発言が悪いから作品は好きだったけど読むの、聴くの、見るの辞めるって人は作品だけでなくすべてを好きになろうとしている人だと思います。
作品と人は別物と考えて好きなる人もいるのでどんなに発言が気に入らくても人気作品であれば作品のファンはいると思います。
ただ作品と人は別物と考えてくれる人が多くいればいるほど、クリエイターでも気軽にTwitterで発言出来ますし、それで問題になることも減ると思います。
私の偏見ですが、極論を言うと良いクリエイターには多少おかしい人の方が多いと思ってます。